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このウェブサイトを企画・制作したさっかといいます。

1998年5月2日、(当時は鳥取市に住んでおり)連休中だというのに初めての
ページ作成に入れ込みすぎてウニと化した私の頭にこんな新聞記事が飛び込ん
できました。

「田中千鳥の遺稿集 復刻版できる 7歳5ヶ月の命の結晶」
(1998年5月2日(土)朝日新聞 鳥取版)

そこには襟をきっちりつめた着物の着方に幼さを感じるおかっぱ少女の写真と、
「気高郡気高町」の文字。 新聞記事は、約70年前(大正時代 )に気高郡気高
町浜村に、当時数少ない女性新聞記者で作家田中古代子の娘として生まれ
7歳5ヶ月で病死 した田中千鳥の遺稿集が気高町教育委員会の手で復刻さ
れたことを伝えていました。

気高町…実は私の母の実家はこの気高町内の隣の地区。数年に亡くなった
私の祖母と、この田中千鳥は同年代を生きたことになります。ひょっとしたら市
場で、駅で、すれ違っていたかもしれません。

幼い頃、毎年夏になると両親に連れられこの日本海沿いの小さなまちで過しま
した。行き帰りの汽車の風景、田舎のもてなし、古い民家、海水の味、その記憶
が波となって押し寄せ、田中千鳥の詩と混ざっていくのです。 もちろん私の記憶
にある「昔の気高町」はせいぜい昭和40年頃のこと。さらに古い大正時代の暮
らしは一体どんなものか?千鳥に『会いたい』。

図書館で手にした「遺稿集」。新聞記事の通り千鳥の目に映る大正時代の、いき
いきとした自然が展開されていました。加えて編集後記の母古代子の千鳥に向
ける眼差し…方や私も当時長男がちょうど7歳2ヶ月でした。編集後記に書かれて
いた、感受性の強い千鳥が社会と折り合いをつけることに難儀をしていた様子と、
それを心配しつつも常に千鳥の立場に立ち温かく見守っていた母古代子の気持ち
が、時代を超えて私に響いてきます。

インターネットで全国のネット友に千鳥を知らせたい。 ふと頭に浮かんだ思いつき
だけれども、著作権の関わること、 一介の主婦の手に負えるものではないとあき
らめておりました。 ところが偶然、友人と発行元の気高町関係者が知り合いであ
ることを聞いて、ページの雛形を作り印刷したものを郵送し、思い切ってお願いし
た結果…気高町教育委員会からご遺族の了解を得ていただくことができたのです。

さっそく 自分のページに 「千鳥のコーナー」を作りネット上の友人達に知らせまし
た。 そうすると見てやはり共感してくれる友人が何人もいるのです。千鳥や古代
子のほんの短い文章に「何かを感じて」もらえたのです。
勤めを辞めて専業主婦になって数年。 こんな形で社会と接点を持つこと など考え
られませんでした。 自分の想いが伝わった…もっとたくさんの人に見てもらいたい…

そこで「ばら色のリボン〜田中千鳥のさくひん紹介〜」という独立したページにして
公開することにしました。
より多くの方々に田中千鳥と、彼女を育んだ浜村を知ってもらえたらと思います。